金城武が日本のドラマや映画に出なくなった理由の一つに、日本の大袈裟な演技指導に違和感を感じたから説がある。
『カツベン!(2019)』を観ると、歌舞伎の大袈裟な演技が、そのまま日本の活動写真に連なっていったのが良くわかる。
日本では、サイレントムービーはそのままの形で輸入されず、最初から伝統芸能とフュージョンして独自の娯楽に昇華していた。
歌舞伎で同じ世界を様々な趣向で多様にたのしんだのと同様、活動写真は同じ映像を活動弁士の様々な演出で多様に愉しめた。
その後映画そのものはトーキーの時代となり、活動弁士は消滅してしまった。が、相変わらず役者の演技はリアルでなく伝統芸能のデフォルメ・・・本質を捨象して抽象化した記号性を引き継いでいる。
それは実写よりもアニメという手法にピタッとハマるものであるが故に、ジャパニメーションは邦画と異なり世界に受け入れられた。
『カツベン!』の山場で用いられた様々な作品のツギハギフィルムを、活動弁士が一つのテーマ、ストーリーで意味を持たせたのは、結局はどんなメディアでも編集次第なのを暗示しているかのようであった。
奇しくも今、日本のyoutubeでは映画の10分サマリーものが静かなブームである。
そのうち著作権切れのサイレント邦画に、様々なナレーションとBGMで編集した同一作品群がyoutubeに投稿されていくかもしれない。
まさに活動弁士はyoutuberとして歴史を繰り返すのだろうか。
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