以下、『かわいそうな歴史の国の中国人』より抜粋
P129
・・・
『大蔵経』では「チーンの国」=「チーナスタン」を漢字で震旦、それから、
「チーン」を支那と書いてあったのです。もちろん、インドで作られた仏典はサンスクリット語で書かれてありますが、これを唐の時代に
三蔵法師(玄奘三蔵)が持ち帰り、みんなで漢字にしながら翻訳したのです。このとき「チーン」に「支那」という字を当てたのですが、・・・(中略)・・・それを知った
新井白石が、「支那」と書くようにしたのです。
P130
日清戦争後、当時は清国だった今の中国から多くの
留学生が日本にやって来ました。彼らは日本人が自分達のことを「支那人」と呼んでいることを知り、
最初はそれほど気にはしてなかったのですが、・・・(中略)・・・「支那」というのはいい字ではない、ということになった。それに較べたら、
「日本」というのは「日の本」ですから本当にいい字なのです。
それで
自分達で、「世界の真ん中の国だから、中国というのがいい」と
言い出し、「支那の代わりに中国と呼べ」と
主張するようになったのです。
完全に中二病の学生の妄想です。
「中国」=「中二病の国」だった!!
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