
中学生にしてミツルハナガタ2000を乗り回す財閥御曹司、ハナガタミツル。(『巨人の星』より)
昔の少年漫画には、この花形満のような、「圧倒的な金持ちのボンボン」が、主人公の好敵手としてよく出てきてました。
主人公は、自らの努力により、環境に恵まれたボンボンライバルとの差を縮めていき、対等以上に立身出世していくわけですが、これって、実は高度経済成長時代が背景にないと、リアリティが薄い設定なことに気付きました。
1981年、まだ低成長ながらも日本に伸び代があったころ、『うる星やつら』が始まりました。
そこには花形満型キャラとして、高校生の面堂終太郎が存在していました。

主人公諸星あたるは、財力容姿に恵まれた面堂のモテモテぶりに多少イラッとしますが、特に彼を打倒しようと考えているわけではありません。
また面堂の方も、ヒロインのラムちゃんに惚れられているあたるにムッとしつつ、自分があたるより特別の存在と考えている風にも見えません。
国民総中流社会の当時の日本において、圧倒的な経済力というものが、数ある美点の一つとして相対化されて考えられていたからではないでしょうか。
さらに89年、バブルの頂点を日本は迎えますが、その頃少年ジャンプには江川達也の『まじかる☆タルるートくん』が連載されていました。

そこで登場した主人公の永遠のライバル、原子力(はらこつとむ)は、花形や面堂系キャラの終着点ともいうべき、恐るべきスペックのネ申小学生でした。
しかし彼は、主人公江戸城本丸が、なんらコンプレックスを抱く必要のない面白キャラの一人という位置付けだったのです。
バブル時代に、「お金をもっていること」は、誰かから羨ましがられることでも、個性的なことでもなく、「あぁそうですか」程度の価値しかもたなくなっていたのかもしれません。
その後、日本の人気漫画に、花形の系譜の有名キャラは登場してない気がします。
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現在の日本は、世界の先進地域の一つであり、成熟社会だといわれています。
これは裏を返すと、成長の伸び代がなくなった、今よりよい未来を想像しにくい社会といえるかもしれません。
もはや『巨人の星』の星飛雄馬のようなシンデレラ(?)立身出世ストーリーは、その努力に足るほどの報酬・満足感を人々に与えることはできないのです。
花形満に打ち勝つ星飛雄馬を見ても、人々はカタルシスを感じなくなってしまいました。
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花形満は、どこに行ったのでしょうか?
私は、かつての日本のように試験競争が盛んな高度経済成長中の中国に、今はいるのだと思います。
中国の大半を占める庶民は、手にしたお金を子供の教育に投資し、裕福な共産党幹部子弟の花形満に、わが子星飛雄馬が打つ勝つのを夢見ているのではないでしょうか。。。
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